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ポピュラーとクラシックと何故違うのか。
例えばFM放送にスイッチを入れたとします。聞こえてきた音楽は一瞬でポピュラーとクラシックの
区別が出来ます。しかし、どこがどのように違うのか?
それを定義づけて説明するのは意外と難しいです。誰か説明して下さい。星名

「らしさ」の問題  もときしんぺい(ピアノ、粟山クラス)
星名さんの問題提起、「ポピュラーとクラシック、どこがどのように違うのか?」に
触発されての投稿です。
ごめんなさいわたしにはよく分からない。分かってたら習う必要ないですし(笑)。

かわりに追加質問です。
先生に質問するべきかもしれないですが、クラシック音楽の「らしさ」=「差異性」
の問題について。

やはりちょっと音楽を聴いただけで、バッハとモーツアルトの、グリーグとドヴォル
ザークの、
ブラームスとアルベニスの、ラフマニノフとドビュッシーの区別はついてしまいます。
作曲家の個性、お国がら、時代・・・いろんな要素があるのでしょうが、この「らし
さ」にはほとほと手を焼いていて、

「スペインの音楽らしく」って何となく分かるのだけれどその「何となく」をどう
やって表現したらいいのか分からない。
「バロック音楽らしく」って、そんなあなた300年も前のヨーロッパのことなんか
知らないからますますもって分からない。
じゃあ「自分らしく」? これもまたよく分からない。実は一番分かっていない、
こっちが教えてほしいくらいだ。

「ごちゃごちゃ考えないで先生の演奏を適当に真似してるうちに身につく」のかもし
れないですが、練習中どうも考えてしまいます。
練習や演奏のとき、ほかのひとはどうやってこの問題を処理・解決しているのか・・
・非常に興味があります。

わたしはというと、そういうの実は音楽以外の分野に答えがあるんじゃないかと思っ
て、その国の美術や文学に接したりしています。
あと「言葉」。訳分らなくていいから(ホントはよくない)ラジオなんかで会話を聴く。
フランス音楽やってるときはフランス語会話を聴く。
どれくらい役に立ってるのかサッパリ分からず、正直時間の無駄かもしれないです。
でもまあ、バッハをやりながら少しは聖書を読むようになったし、トータルではムダ
ではないと思っています。ムダでないはず。
「旧約」とか面白がって読んでる(クリスチャンじゃないもんですいません)、バッ
ハは多分「新約」しか興味なかっただろうのに(笑)。

ご高見をたまわりたく、よろしくお願いいたします。(「練習中余計なこと考えてな
いで集中しろ」? ごもっともです)


しんぺいさんへ  粟山クラス(ピアノ) なかざわ

こんにちは。出てくるといつも鳥ネタですみません。

本で読んだんですが、ハトにはヴィヴァルディとストラヴィンスキーの音楽の
違いが分かるらしいです。
(もしハトが口きけたなら曲を聴いて「ハイ、これはヴィヴァルディね。」
とか言う訳です。)
作風がある程度理解できるらしいです。
(まぁ、バッハとヘンデル、ハイドンとモーツァルトの違いは分からないかも
しれませんが、これはニンゲンだって間違っちゃうことありますよね。)
どうやって判断してるんでしょうね。
和声感の違いなんかが、感覚として理解できるのかな?
ハトには何の知識もないはずだから、あくまでハト個人の感性で判断してるん
だよね・・・。

鳥はともかくとして、演奏する時「らしさ」をどうやって表現してるのか。
むずかしいですよね。
なんか自分の卑近な例で恐縮なんですが「分からないなー」なんて思いながら
一生懸命練習してるとある時突然と曲の神様が現れて「こう弾くんじゃよ」と
あきれながら教えてくれたりすることがあります。
その神様はビデオで見たオペラ歌手だったり、外で鳴いてる小鳥だったり、
夕焼けだったりするのですが。
時々純日本風の神様が出てくることもありますが、演奏は味噌・醤油味には
ならなかったような気がします。
たぶん。
(からかってるようですがこれは結構まじめに書いてるつもり。誤解なきよう!)

ちなみにうちの愛鳥、ピーちゃんも音楽の違いを感知するようです。
私がスクリャービンを練習してると耽美な部分では目を閉じて「ぷいぃ・・・」
と、まったりしているのですが、高音部でキラキラとした音が鳴り出すと
賑やかに囀りだします。
曲が盛り上がって部屋中が音だらけみたいになってくるとかなり興奮して
「じゃーっ、じゃーっ(←私には「やれーっ、行けーっ」と聞こえる)」と叫び
鳥籠の中を走り出し、演奏する私の気分をおおいに盛り上げてくれます(笑)。

とペット自慢でしめくくってみました。失礼しました。

ポピュラー/クラシック うのもとひろ (Momiyama−Class)
会社の寮にしばらくいたころ、FM放送が朝起きたときの音楽でした。
ちょうどJ−WAVEが開局してしばらくたったころ、のりのいい音楽で♪81.3J−WAVE
という声とともに聴いていたのがポピュラー。
ジョン・カビラさんはいまも叫んでいるのでしょうか・・・。
それとは別に、
静かなピアノの音楽やらオーケストラやらがかかって、番組の最後に8時50分頃、
ラベルのドリー組曲がエンディングだったのは、NHK−FMのクラシック・プロムナード。 

ほとんどの人は、この2つのちがいは一瞬でわかるとおもいます。
そうとう前のことですが、この2つの番組を使い分けていました。


楽器がちがう。和声がちがう。時代がちがう。(♪イミテーションゴールドみたいですみません)
いろいろあるかとおもいます。

90年代、80年代、70年代・・・と、それぞれのポピュラーの曲や歌謡曲があるように、
それぞれの時代のポピュラーと呼ばれたものがあるかもしれません。
18XX年はヨハンシュトラウスのワルツはポピュラーだったかもしれませんし、
18XX年、リストが超絶技巧曲で”きゃー”といわれていたのは
そのころはポピュラーの部類だったかもしれませんし、
17XX年のモーツァルトの予約演奏会がポピュラーの走りだったのかもしれません。
(ブルックナーやマーラーの交響曲がポピュラーだとはおもいませんが、
映画のバックでマーラー5番のアダージェットがながれたりすると、
ポピュラーっぽくも感じたりします。)

エリック・サティやガーシュインや、最近のウィンダムヒルレーベルのジョージ・ウイ
ンストンのように・・・どっちでもいいようなものも世の中には存在します。
リチャードクレイダーマンが、ガーシュインを弾いているCDは、ポピュラーのコーナーに
おいてあったりします。


最近、ちょっと疲れ気味のせいか、「リラクシング」というCDを買ってみました。
いろんな曲がはいっていますが、選曲にはずいぶん、妙を感じました。
シューマンのトロイメライにはじまって、映画のなかにはいっいるクラシックの音楽があり、
オペラの名曲があるかとおもえば、ビートルズの「ヒアゼアアンドエブリホエア」
それから、チェリストのミシャ・マイスキーが演奏している「浜辺の歌」もあり、
おしまいの曲は「千と千尋の神隠し」から「あの夏へ」というピアノ曲でした。

このCDをつくった人は、クラシックとかポピュラーとかを気にせず、
メロディメーカーの作曲家のくつろげそうな曲を選んだのでしょう。

ということで、なんの結論もでずに終わってしまいました。

何か、落ちがないものかと、真夜中に無理やり考えた結果・・・
私が小学校のときに、ピアノをならいはじめたころ、母がピアノのセールスする人に、
「クラシックピアノやっていたらポピュラーも弾けますけど、ポピュラーやってから、
クラシックピアノやるのはたいへんです」と、いわれたみたいで、(本当にそうなのかは
私にはわからないです)
気がつけば家にピアノがあり、赤いバイエルの本があり・・・となって
ピアノ教室に通うきっかけになったみたいです。 微妙なニュアンスですね。
そのころは、「1970年のこんに〜ちーは〜」と南春雄さんがヒット曲をとばしてい
たころでした。

ポピュラー/クラシック うのもとひろ (Momiyama−Class)
会社の寮にしばらくいたころ、FM放送が朝起きたときの音楽でした。
ちょうどJ−WAVEが開局してしばらくたったころ、のりのいい音楽で♪81.3J−WAVE
という声とともに聴いていたのがポピュラー。
ジョン・カビラさんはいまも叫んでいるのでしょうか・・・。
それとは別に、
静かなピアノの音楽やらオーケストラやらがかかって、番組の最後に8時50分頃、
ラベルのドリー組曲がエンディングだったのは、NHK−FMのクラシック・プロムナード。 

ほとんどの人は、この2つのちがいは一瞬でわかるとおもいます。
そうとう前のことですが、この2つの番組を使い分けていました。


楽器がちがう。和声がちがう。時代がちがう。(♪イミテーションゴールドみたいですみません)
いろいろあるかとおもいます。

90年代、80年代、70年代・・・と、それぞれのポピュラーの曲や歌謡曲があるように、
それぞれの時代のポピュラーと呼ばれたものがあるかもしれません。
18XX年はヨハンシュトラウスのワルツはポピュラーだったかもしれませんし、
18XX年、リストが超絶技巧曲で”きゃー”といわれていたのは
そのころはポピュラーの部類だったかもしれませんし、
17XX年のモーツァルトの予約演奏会がポピュラーの走りだったのかもしれません。
(ブルックナーやマーラーの交響曲がポピュラーだとはおもいませんが、
映画のバックでマーラー5番のアダージェットがながれたりすると、
ポピュラーっぽくも感じたりします。)

エリック・サティやガーシュインや、最近のウィンダムヒルレーベルのジョージ・ウイ
ンストンのように・・・どっちでもいいようなものも世の中には存在します。
リチャードクレイダーマンが、ガーシュインを弾いているCDは、ポピュラーのコーナーに
おいてあったりします。


最近、ちょっと疲れ気味のせいか、「リラクシング」というCDを買ってみました。
いろんな曲がはいっていますが、選曲にはずいぶん、妙を感じました。
シューマンのトロイメライにはじまって、映画のなかにはいっいるクラシックの音楽があり、
オペラの名曲があるかとおもえば、ビートルズの「ヒアゼアアンドエブリホエア」
それから、チェリストのミシャ・マイスキーが演奏している「浜辺の歌」もあり、
おしまいの曲は「千と千尋の神隠し」から「あの夏へ」というピアノ曲でした。

このCDをつくった人は、クラシックとかポピュラーとかを気にせず、
メロディメーカーの作曲家のくつろげそうな曲を選んだのでしょう。

ということで、なんの結論もでずに終わってしまいました。

何か、落ちがないものかと、真夜中に無理やり考えた結果・・・
私が小学校のときに、ピアノをならいはじめたころ、母がピアノのセールスする人に、
「クラシックピアノやっていたらポピュラーも弾けますけど、ポピュラーやってから、
クラシックピアノやるのはたいへんです」と、いわれたみたいで、(本当にそうなのかは
私にはわからないです)
気がつけば家にピアノがあり、赤いバイエルの本があり・・・となって
ピアノ教室に通うきっかけになったみたいです。 微妙なニュアンスですね。
そのころは、「1970年のこんに〜ちーは〜」と南春雄さんがヒット曲をとばしてい
たころでした。

ポピュラーとクラシック 星名
先日、深夜、忘れ物を取りにアルルに戻ってきた岸田先生にジャズのアドリブの質問をしました。
アドリブは完全な即興だそうで、事前に考える(用意する)ものではないそうです。当日の
相棒の演奏、客の雰囲気、客がノレば演奏者もノル。その場に居合わせた全ての人の合作だそうな。
首をかしげている私にピアノを弾いて聴かせてくれました(午前2時頃でした)。
普通のポピュラー風の曲。これがどのようにでもなります・・、渋いジャズ。ベートーベンにもなります。
ショパンにもなります。モーツァルトにもなりますと弾いてくれました。確かに、まぎれもなくそのように
聴こえました。
私の基準は崩れました。理由は、私はポールポーリアと、寺内タケシのクラシックをポピュラーに
アレンジした特集のCDを持っていますが、そのCDと普通のオーケストラとの歴然とした違いは、
電気楽器が入っている、ドラム等の打楽器が常に一定のリズムを刻んでいるという事でしたが、
岸田先生(サックスの先生)の演奏はピアノのみで音を電気で増幅したわけでもないし、
楽器を変えたわけでもありませんし、リズム楽器が加わったわけでもありません。
同じ一台のグランドピアノのみです。アドリブの原則に従ってコード進行(和声展開)も同じです。
(ただ、ジャズの和声はかなりひねるようです。抑圧された人たちが作り出した音楽ですから)
分かったような、分かんないような、分からないけど、聴けば違いは分かる。
しかし、理屈はわからない。

らしさについて  星名
ちょっと思い出したので私の体験を書きます。過去の話ですが、アルルの先生にポピュラーの曲の
楽譜を見せて「ちょっと弾いてみて」と弾いてもらった時に、全然ポピュラーに聴こえなくて、まるで
クラシックの曲のように聴こえた事があります。これは複数の先生複数の楽器で経験しています。
何故?と言われると・・きちっとし過ぎている、音が綺麗過ぎる、完璧過ぎる・・としか説明は思い
当たりません。
表現方法もポピュラーとクラシックの違いに大いに関係ありそうです。
又、声楽の先生方がカラオケが好きかと言うと、そうでもなくて、
「私達が歌うと歌曲になってしまうから」と言っていました。

らしさについて(星名さんの疑問にお答えします) 岸田
音楽のジャンルを全て言語に例えて説明したいと思います。
世界には沢山の言語があります。英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、
ポルトガル語・・・日本語、中国語、まだまだ沢山あるので紙面の都合上ここで省略します。
さらに日本語を例に説明すると、標準語、東北弁、関西弁、四国弁、九州弁・・・・。
私は出身が兵庫県なので関西弁でさらに細分化すると、京都弁、大阪弁、神戸弁、奈良弁、
和歌山弁・・・河内弁、吉本興業弁。日本語だけでもこれだけの方言があるわけです。
クラシックを言語に例えると世界で一番演奏されているので英語みたいなものですね。
英語もイギリス、アメリカ、オーストラリア、アジア諸国でいろいろ違いますし、さら
にその国の中にも方言が沢山あります。
つまりクラシック音楽だけで作曲家が沢山いるので、モーツァルト弁、ハイドン弁、
ショパン弁、ラベル弁、
ベートー弁・・・・
(すんません寒くて)(他の作曲家の方ゴメンなさい省略させて頂きます)
さらにショパンを例に、ショパンを得意とするピアニストが100人いると100人とも
解釈が違うでしょう。
それは私達が同じ標準語を使っているとしても出身地や生活していた環境や人間関係
などで微妙なイントネーションが違うはずです。それに話すテンポ感等も人それぞれです。
つまりクラシックを勉強してきた人は1つの言語の方言を勉強しただけなので、ポピューラーの
譜面を演奏してもらってもクラシック弁にしか演奏出来ない訳なんですねー。
私もジャズ、ポップスを演奏するようになってクラシック弁じゃないポピュラー弁に変身するのに
4,5年かかったと記憶しています。
Jazzだけでも沢山の方言があるし、ラテン弁も沢山あるし、ロックやR&BやHip-Hop等も
沢山の方言があるので大変です。
身に付いてしまったクラシック弁は完全には抜けきれないもので、ポピュラーの仕事を始めた頃は
よく共演者のおっちゃんプレイヤーに「きみクラシックやってたでしょ、もっとJazzコピーしなよ」て
言われたものです。トホホホ・・・・・(;_;);。


「らしさ」の話 バイオリン 高橋先生クラス 片山 (2003年10月23日)
今晩、若杉弘さん指揮東京都交響楽団の演奏でブルックナーの交響曲第9番がメインの
演奏会を聴いてきました。大変充実した演奏でした。

7月にひょんなことで滋賀県立美術館で日本画のコレクションを観て来ました。絵は全
く詳しくないのですが日本画っていいなーと思ったのでした。

一方先週末、上野でレンブラントを初めとするオランダの絵画展を観、これもいたく感
銘を受けました。

そのあとに滋賀県で買った日本画集を見ると、繊細なのですが明暗を使い分けたオラン
ダの絵と比べると平面的な印象を受けました。

今日のブルックナーについても同じ印象、音の縦の線はぴったりだしフレーズも良く
歌っているし、それぞれの楽器も鳴り切っている。だけど音に陰影はドイツ語圏あたり
の楽団の最上の演奏に比べるとあまり感じなかった。

優劣を言っているのではありません。これは文化的な差としか言いようのないものなん
でしょう。

以前イタリアへ旅行に行った時、アリタリアの飛行機で日本演奏旅行から帰国途中のロ
ーマ歌劇場の合唱団・管弦楽団の一行と一緒になりました。私はたまたまその1週間前
に彼らのプッチーニのトスカを聴き(観)ながら、ついピットのオケに注意が行き
なんて明るくて軽い音なのだろうと思ったものでした。

そこで飛行機の上でオケのバイオリニストに思いきって話をしてみました。「プッチー
ニを演奏するときは、イタリアらしくとか、音を軽くとか考えて弾いてるんですか?」

このバイオリニストの反応はきょとんとしたものでした。「いや、いい音楽をやろうと
しているだけですよ。」

それでは失礼します。



らしさ、クラシック、ポピュラー 星名
確かに、音楽を言葉(音声)に例えると非常に分かりやすいですね。
聞こえてきた音楽のジャンルをすぐに聴き分けられるのは、
楽器編成、楽器の種類、和音、リズム及びリズの表現の仕方、旋律の特徴
楽器(声)の鳴らし方の違いによる音色の違い、節回し(歌い回し)の表現方法の違い
等を我々は経験上知っていて、我々の(優秀な)脳が即座に、パソコン並の早さで、
同一、類似、異なる、知らない(判断不能)と聴き分けるようです。
実際、私はトランペットがプーと聞こえれば、旋律を聴かなくても音色で
ジャズかクラシックかすぐに分かります。皆さんも自分がやっている楽器だと
すぐ分かると思います。では、私のトランペットの音色は・・・
これは、新天地を切り開いていますので、どなたも判断不能です。

聴き分けられる事は分かったのですが、曲を分析した場合、クラシックは
ポピュラーとどう違うのか、その境目はあるのか、誰か教えて下さい。
それと、私には重大な疑問があります。ポピュラーでは
アーティストがステージでよく泣きます。
先日も、アンコールを涙ながらに歌い終えて、最後の挨拶をしようにも、
もう涙で顔がくしゃくしゃで声も出ないシーンを見ました。
私はクラシックの人がステージで泣いたのをただの一度も見たことがありません。
この違いは何なんでしょう。


「らしさ」の話(2) 片山
たびたび失礼します。前回の投稿で言い足りなかったので追加します。
韓国のオーケストラの演奏を聴いたとき発音の鋭さに驚きこれは韓国語に似ていると思
いました。こういう発音の鋭い音を意識して書かれたであろう韓国人作曲家の曲は韓国
人ならば自然に演奏して良さが出るかもしれないが、日本人にとってはこの鋭い発音を
会得しないと韓国人を相手に演奏するには曲の良さが表現しきれないかもしれないとも
思いました。
小澤征爾さんがどこかのインタビューで、アメリカのタングルウッドの学生達がブラー
ムスを弾くのを指揮していて「君たちのブラームスは悲しいときはウンと悲しく嬉しい
ときはウンと嬉しいが、ブラームスはもう少々控えめなのが丁度いい」と指導したとか
いう主旨のことを言っていました。
そのブラームスがボストンあたりの洗練された聴衆を相手にしてならそのとおりかもし
れないが、アメリカの田舎の聴衆相手だったら控えめな表情は本当に控えめ過ぎて
「良い音楽」にならないかもしれんなと思いました。実際、ヨーロッパの洗練されたオケが
アメリカの田舎で演奏したとき、あるアメリカ人は「つまらん演奏」と言っていました。
(とてつもなく甘いケーキが好きな可愛そうな人々、小声で。)
楽譜から感じたままを音にしてそれがいわゆる「らしい」音楽かを考えるのは
苦労が多そうです。
同じ文化圏にいる人々へだったら、むしろ「らしさ」だとかスタイルを意識しないで演奏した
ときのほうが演奏者・作曲家の個性とか、作曲家が伝えようとした心の動きや自
然や宇宙の幽玄みたいなものは良く伝わるんじゃないかな。
いつか本木さんがおさらい会でバッハを弾いたときは曲の把握がうまい、つまり「バッハ
らしい」ピアノだと感じました。
また、クラシックの聞き手にポピュラーをクラシック調で演奏しても「ポピュラーの良さ」は
充分伝わるんじゃないか、とも思っていますが言い過ぎですかね。
まあ趣味ですから煮ようと焼こうとマリネにしようと勝手にやって良いわけですよね。
バンバン楽しみましょう。
おっと自分の楽器の練習を、、、

アクセス記念投稿とポピュラーの人は何故泣くか? 星名 11月10日(2003年)
9万件アクセス記念投稿ありがとうございます。このペースで行くと今度のお正月当たりに10万件になる
ようです。こうして改めて考えると、レコード(今はCD)を発売して100万枚を売るということがいかに
物凄い事か良く分かりました。実際、この10万件の訪問で一番多く訪問しているのは私自身ですが、
新人歌手は、自分で全国のレコード店を訪ね歩き、自分で自分のレコードを買っていたそうです。
だから、世に出ると、感極まってステージで泣くわけです。
クラシックの人は何故かそこまでの事はしません。

 片山
ところでクラシックの演奏家はなぜ泣かないか。あるお偉い先生の本に「演奏者はお客
を熱くさせるのであって自ら熱くなってはいけない」とありました。なんとなく分かる
気がします。あと先日の発表会では演奏中に汗が目に沁みました。泣いちゃうと楽譜が
読めなくなるということもあると思いました。